野田秀樹の新しいたくらみが、また新しい感動を与えてくれた。 これまでは日本語の新しいリズム、響きを追求していた野田に、 なんと今度は、本来の日本語はこんなにも美しかったのか、 と云う感激を与えられた。 特に坂口安吾のパートでは、古典の言葉が話し言葉として立派に機能し、 それがたとえようもなく美しく響いていた。 こんな事は、昔学校で勉強させらていた頃には想像すら出来なかった。 物「語」と云う意味に初めて気づかされた。 また、会場の異常な狭さの演出も良かった。 ぎゅうぎゅう詰めの超圧縮された空間。 役者や客席の熱気で、見ている私たちにも役者同様に汗が流れる。 その汗が、目の前で演じている役者の汗と同化し、 まるで自分が演技しているかの様な錯覚を覚えた。 こんな濃密な空間の共有は、これまた初めての経験であった。 |
なおこれは、朝日新聞の「客席から」(いまはもうありませんが、)
に投書して、掲載されたものです。